昭和56年3月6日 朝の御理解 御理解 第80節 「年寄を大切にせよ人間は自分の考えで先へ生まれて来たのではない、皆神のおかげで生まれて来たので、早く生まれた者程背の為に働きを沢山して居る道理であるから、年寄りを敬ふのぞ、若い者でも役に立つ人は、何となく人が敬うやうになるが、不都合不行届きが重なれば敬うて呉れぬやうになる、信心する者はよう心掛けて居るがよい。」
お互ひだんだん年を取っていくのですから、自分が年寄りになって、若い者から大切に取り扱うてもらう為にも、本気で大切にするそういう心がけが信心にはいるのです。どうしても年寄りはまあ粗末にするわけではないけれども、まあ何んというでせうかね、まあないがしろにされる、年寄りが出しゃばりなさんなとか、といったようなものが若い者の中に、兎に角各々も年を取っていかんならんのだから年を取った時に、それこそしんから上辺だけじゃない、しんから大切にされたら嬉しい事であろう。
だから私共が年寄りをしんから大切にする。しんから大切にするという事を心掛けておかなきゃならん。
昨日、毎日古屋さんから、福岡の古屋さんですが電話がかかってまいりますが、ここにあちらのおばあちゃんが此の頃満百一才を迎えられまして、やっぱり元気で居られます。そのおばあちゃんが、二三日前から眼をあけられなくなった。ものを云われなくなった。こちらが云うとだけは聞こえるわけだけれども、そしてですからお医者を呼んで診察してもらわれたら、どこも反応だけはすばらしい。眼をあけないとか、ものを云わないというのは、こりぁ丁度子供があのすねておるような状態だから、大事にして上げなきぁいけませんよという事じゃったそうです、
それで古屋さんほっと気付かれたのが、本当に今云うしんから大切に、もうそれこそ普通でいうなら、仏様も同じ神様もおなじ。満百一才をむかえられたというそのおばあちゃんに対する、ほんにしんからのというものが足りなかったと気付かれて、それであの丁度お供えにバナナを頂いておったらから、バナナを食べるかというたら「うん」と云われるからバナナを頂かれた。そしたら次には唐芋の蒸したのを頂いたから、唐芋を頂くかと云うたら「ん」と云われるから上げた。まあそれから気嫌がなおって眼をあけて、ものをいわれるようになった。今日です、今日は市からあのずうっとお風呂に入れて下さるそれを持って、あの廻われるんだね福岡あたりでは、長く寝ている病人さんを風呂に入れて上げる、そういうあれがあるそうですが、今日その風呂に入れて下さるのがあり廻ってくる日になってるそうです。でその事を云うたらあす風呂には、入ってよいというて喜ばれたという、昨日電話でございました。
兎に角粗末にはしよらんけれども、しんから大切にしなければならないという事が疎かになっておる。もう本当に神様も同じだから、いわゆるしんから大切にする。そう心掛けておけと信心する者は心掛けておれとこういわれる。これは信心させて頂く者の心掛けとしてね、これは年寄りを大切にするというだけではないですけれども、いうならば御教えを大切にする。金光様の信心者であれば一応は、教祖金光大神の御教え覚えておるし、教えは知ってもおる、けれどもしんから大切にするという所がないからね、いわゆる神様が眠ったふりしてござる。ものも云ひなさらんというような事になるのじぁないでせうか。今日も御教えをそれこそ本気でしんから大切にする信心する者はよう、心掛けておくがよいという事になるのじぁないでせうかね。 どうぞ